ハローワールド。ハローワークをしたくないので、私はハローキティーを腕に彫ることにしました。
はじめまして。Makotonと言います。
最近は、ChatGPTを開いた時に表示される、「Makotonさん、始めましょうか。」がツボです。なんでちょっとドラマチックなの?
それはさておき。
自分自身に対して、実際に(デジタル)タトゥーを彫れる力を手にしてみて初めてわかったことだが、案外、自分の行為が生む将来的な帰結について理解することは難しいものだ。
軽い気持ちでハローキティなんかを腕に彫ってしまうような人間は馬鹿だと、そう長らく思っていたのだが、全然ハローキティくらいなら大丈夫なんじゃあないかなあ、などという気分に今はなっている。そういうことだ。
もちろんデジタル・ハローキティとフィジカル・ハローキティの間には差があって、デジタルの方がフィジカルよりもボディーブローが上手、という所だ。直感に反して。
どういうことかといえば、物理的なタトゥーが温泉に入れなくなるくらいで済むのに対して、デジタルタトゥーはそれこそ就職できなくなったりと、人生の長きにわたって影響がある。そのくせ自らの行為の帰結を想像することが、フィジカルよりさらに難しいのだ。つまりはじめは「大したことがない」と思いがちなのに、後々響いてくるのだ。まさにボディー・ブロー。これはクレジットカードだと現金よりもお金を使い過ぎてしまう現象と同根で、身体性を伴わない記号の扱いが、我々はそんなに得意じゃないののだ。
かくいう僕も、デジタルタトゥーなんて大した事ないんじゃないの、と心のどこかでは思っている。だからきっと実際に痛い目にあわないと、本当に改心することはないのだと思う。「わかっちゃいるができない」ことってなんて多いんでしょうね。
でも、ちょっと考えてみて欲しいのだが、「就職はしているが温泉には入れない」と「就職はしていないが温泉には入れる」から選べと言われたら、答えは一択じゃなかろうか? そう、誰がどう考えても答えは後者だ。やっぱりどちらかを取るならデジタル・キティーの方がいいんじゃないか?
とはいえ温泉に入るには、就活という血を血で洗う競争ののち、目的という宗教に帰依して、お金という養殖済みの絶滅危惧種の天然を乱獲する必要があるらしいので、現実には「就職していて、温泉にも入れる」もしくは、「就職していなくて、温泉にも入れない」という二択があるだけが。「就職しないで温泉にはいる」という僕のささやかな夢すら、この世界では叶えるのが難しいみたいです。ありがとうございました。
賢い読者の方々なら、ここまでですでに「こいつならいつかやりかねない」と思われたかもしれない。そういった諸賢さんのために、少しだけまともにメディア・リテラシーの知識をひけらかそうと思う。
中学生の時に来たメディア・リテラシーの招聘講師曰く、「玄関の前に自信を持って貼れるものならインターネットに載せても致命傷になることはありません。」
いまだにこれを超える有効かつ簡潔な経験則は聞いたことがない。あくまでも「致命傷にならない」だけだが、致命傷にならなければ基本的にはリスクが取り放題なので、この経験則は結構大事だと思う。
ちょっと本題が何かわからなくなってきましたが、結論は単純で、自分自身の行為の将来的な帰結は予測しづらいので、ブログみたいなインターネット・タトゥーを残すような媒体を始めるのはなるべくやめましょう、ということです。そしてもしやらざるを得ない場合、ましてほぼ実名で情報を発信する場合は、十分にパブリック・イメージに配慮して頭の中で厳しい検閲をしながら発信しましょう、ということです。そのくらいしても、「発信する」ということは「黒歴史を作る」ということとほぼ同義なので。
はい。だから切り抜きとかしないでください。ちなみに私ならこの記事から「軽い気持ちでハローキティなんかを腕に彫ってしまうような人間は馬鹿」という部分を切り取ります。そしてそういう奴がいるから、インターネットはやめた方がいいんです。まじで。
あれ、なんでじゃあこんなこと始めたんだろう?と我に返って一瞬そんなことを思ったりしますが、この文章をあなたが読んでいるということは、そういうことです。シールつければ隠せるくらいのサイズのハローキティなら彫ってもいいんじゃない、ってことです。
色々これから書こうと思いますが、くれぐれもこれを読んで私のことをわかった気にならないでください。
(クリックで当時の原文を表示:Makoton黒歴史アーカイブ)
どうも管理人です。管理人の趣味で彼の訂正した黒歴史をひっそり公開します。こんなことやっているから友人ができねぇのか...
はじめまして。Makotonと言います。
最近は、ChatGPTを開いた時に表示される、「Makotonさん、始めましょうか。」がシークレット・ツボです。なんでちょっとドラマチックなの?
それはさておき。
自分自身に対して、実際に(デジタル)タトゥーを彫れる力を手にしてみて初めてわかったことだが、案外自分の行為の生み出す帰結について自覚的になることは難しいものだ。
軽い気持ちでハローキティなんかを腕に彫ってしまうような人間は馬鹿だと、そう長らく思っていたのだが、全然ハローキティくらいなら大丈夫なんじゃあないかなあ、などという気分に今はなっている。ハローキティに値するデジタルタトゥーが何かなんて、想像もつかないので、なおさら危険だ。
デジタルとフィジカルの間の差は、デジタル・ハローキティの方がフィジカル・ハローキティよりもボディーブローが上手、というところだ。直感に反して。
どういうことかといえば、物理的なタトゥーが温泉に入れなくなるくらいで済むのに対して、デジタルタトゥーはそれこそ就職できなくなったりと、人生の長きにわたって影響がある。そして、自らの行為の帰結を想像することが、フィジカルよりさらに難しいのだ。
つまりはじめは「大したことがない」と思いがちなのに、後々響いてくるのだ。まさにボディー・ブロー。これはきっとクレジットカードだと現金よりもお金を使い過ぎてしまう現象と同じで、身体性を伴わない記号の扱いが、我々は下手という事を示しているだけなのだろう。
そして頭ではそういうことを理解している僕も、デジタルタトゥーの帰結なんて大した事ないんじゃないの、とどこかでは思っているのだから、きっと痛い目にあわないと、本当に改心することはないのだと思う。「わかっちゃいるができない」ことの、なんと多いことか!
でも考えてみて欲しいのだが、「就職はしているが温泉には入れない」と「就職はしていないが温泉には入れる」から選べと言われたら、答えは一択じゃなかろうか?
ちなみにいい温泉に入るには、就活という血を血で洗う儀式を経た後、目的という宗教に帰依して、お金という絶滅危惧種の乱獲を行う冷酷無比なハンターになる必要があるとの噂を聞いたので、現実には「就職していて、温泉にも入れる」もしくは、「就職していなくて、温泉にも入れない」という選択肢があるだけなのかもしれない。「就職しないで温泉にはいる」という僕のささやかな夢すら、この世界では叶えるのが難しいみたいだ。
中学生の時に来たメディア・リテラシーの招聘講師曰く、「玄関の前に自信を持って貼れるものならインターネットに載せても致命傷になることはありません。」
いまだにこれを超える有効かつ簡潔な経験則は聞いたことがない。あくまでも「致命傷にならない」だけだが、致命傷にならなければリスクは取り放題なので、それがわかることは結構大事だと思う。
私もリテラシーに気をつけて文章を書こうと思います。はい。だから切り抜きとかしないでください。(ちなみに私ならこの記事から「軽い気持ちでハローキティなんかを腕に彫ってしまうような人間は馬鹿」という部分を切り取ります。そしてそういう奴がいるから、インターネットはやめた方がいいんです。)
ちょっと本題が何かわからなくなってきましたが、結論は単純で、自分自身の行為に対する帰結は予測しづらいので、ブログとか始めてデジタル・タトゥーを彫るのはやめましょう、ましてやほぼ実名で情報を発信する場合は、十分にパブリック・イメージに配慮して頭の中で厳しい検閲をしながら発信しましょう、ということです。そのくらいしても、「発信する」ということは「黒歴史を作る」ということとほぼ同義なので。
あれ、なんでじゃあこんなこと始めたんだろう?わからなくなってしまいました。
まあ色々これから書こうと思いますが、これを読んで私のことをわかった気にならないでください。
ご自身のことをここまで客観的に分析されていて、感服いたしました。ただ、友人として、そして管理者として、ここまでご本人が危険性を訴えているこのブログを、どのタイミングで閉鎖して差し上げるのが一番ご本人のためになるのか…いやはや、悩ましい問題ですね。
— 管理人